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化学よもやま話

~身近な元素の話~ 2種類の元素でできた化合物(4)

 佐藤 健太郎

 前回まで,炭素ともう1種類の元素から成る化合物を取り上げてきた。今回は,窒素の酸化物について紹介してみよう。窒素酸化物といえば,NOxなどと総称され,大気汚染の原因物質として評判の悪い物質群だ。しかし多彩な顔ぶれが揃っており,重要な化合物も多い。

一酸化二窒素(N2O)

 一酸化二窒素(N2O)は別名を亜酸化窒素ともいい,無色の気体だ。以下の式で表される共鳴構造をとっている。

  一酸化二窒素は,1772年にイギリスのJ. Priestleyが発見した。吸い込むと酔ったような気分になり,顔の筋肉が収縮して笑ったような顔になるため,「笑気」の名でも呼ばれる。当時,一酸化二窒素は娯楽用のガスとして人気を集め,これを吸い込むショーなども開かれたという。吸い込んだ者の中には,舞台の上で大笑いする者,うろうろ歩き回りながらお辞儀をして回る者,観客の頭を踏みつけてその上を歩き回る者さえ出たというから,ずいぶんな騒動であったようだ。
  しかし,この気体の有用な使い道に気づく者が現れる。一酸化二窒素を吸い込むと痛覚が鈍くなることを利用し,抜歯の際の麻酔に使うというものだ。外科手術は世界各地で何千年も前から行なわれてきたが,その患者はみな甚だしい苦痛に苛まれてきた。この笑気麻酔は,手術の激痛から患者を解放する歴史的な大発見であったのだ。その後,麻酔にはいろいろの物質が用いられるようになったが,一酸化二窒素はその鎮痛作用の強さから,今も用いられ続けている。
 一方で一酸化二窒素は,最強のオゾン層破壊物質でもあり,二酸化炭素の約300倍という強力な温室効果ガスという一面も持つ。環境への影響を考えた場合,できるだけ使用を控えたい気体のひとつだ。

一酸化窒素(NO)

 これも無色の気体で,高温で窒素と酸素を化合させることで生じる。また,銅と希硝酸の反応によって発生させる実験を,中学などでの化学の時間に行なった経験のある方も多いだろう。
 一酸化窒素を最初に作ったのは,16~17世紀に活躍したベルギーの科学者J. B. van Helmontといわれる。彼は,「混沌(chaos)」という言葉をもとに,「ガス」という単語を作り出した人物としても知られる。ただし,最初に一酸化窒素の性質を調べて正確な記録を残したのは,前述のPriestleyであるようだ。
 一酸化窒素は毒性もあり,吸い込むと数分で中枢神経の症状や,意識の喪失を引き起こす。体内で酸化を受けて硝酸や亜硝酸を生じ,呼吸器を傷める要因にもなる。二酸化窒素ほどでないにせよ,なかなか怖い物質だ。
 ところがその一酸化窒素は,体内で生成されて重要な生理作用を担ってもいる。たとえば血管の平滑筋を弛緩させ,血流量を増やす働きを持つ。ニトログリセリンや亜硝酸アミルが狭心症の治療薬になる理由は,これらが体内で分解されて一酸化窒素を生じるためだ。バイアグラの作用にも,このメカニズムが関与していることがわかっている。
 毒性のある気体である一酸化窒素が,情報伝達物質としての働きを持つことを発見したL. J. Ignarro,R. F. Furchgott,F. Muradの3人は,1998年のノーベル生理学・医学賞を獲得している。そのインパクトを考えれば,当然の受賞であった。
 また,免疫作用の発現にも,一酸化窒素は重要な関与をしている。免疫細胞のひとつであるマクロファージは,大量の一酸化窒素を放出して病原体を殺す能力を持つ。しかし敗血症の状態では,この大量の一酸化窒素が血管を拡張させ,低血圧に導いて患者を危険な状態に追い込む。たった2原子の分子ながら,その人体に及ぼす作用はなかなか複雑だ。

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二酸化窒素(NO2

 一酸化窒素と同じく,フリーラジカルながら安定に存在する。はっきり褐色に色づいて見える,珍しい気体だが,これはラジカルが全体に非局在化した構造に由来している。二酸化炭素分子と異なり,窒素を中心にV字型に折れ曲がった形状をとっているのも,ラジカルの不対電子のせいだ。
 呼吸器に対して強い刺激性がある他,強力にヘモグロビンと結合して酸素の運搬を妨害する性質もある。空気中の酸素と,紫外線照射によって反応し,有害なオゾンを生成する。これが,いわゆる光化学スモッグの主要原因だ。また水に溶けると硝酸や亜硝酸を生じ,酸性雨の原因ともなる。強い酸化力を持つので,炭化水素など可燃性物質と接触すると爆発の原因ともなる。どうにも,環境の敵としかいいようがない物質だ。
 実験室では,銅に濃硝酸を加えることで発生させることができる。自然界では,空気中の窒素と酸素から雷の作用によって生成し,雨に溶けて地上に達する。こうしてできた硝酸塩は植物に吸収され,タンパク質などの一部となる。自然界で起きている重要な窒素固定プロセスだ。

四酸化二窒素(N2O4

 この二酸化窒素は,四酸化二窒素との平衡として存在し,低温では四酸化二窒素側へと平衡が移動する。四酸化二窒素になるとラジカルとしての性質が消えるので無色になるが,実際には混在する二酸化窒素によって,わずかに着色していることが多い。
 四酸化二窒素の重要な用途として,ロケットの推進剤がある。その強力な酸化力を活かし,ヒドラジン系の化合物と混合して自己着火性推進剤として用いられるのだ。アメリカのタイタンロケットや,中国の「長征」ロケットなどに採用され,宇宙開発に大きく貢献してきた。ただしこの燃料は毒性も強く,環境面からは問題も指摘されている。

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三酸化二窒素(N2O3

 あまり有名ではないが,三酸化二窒素という化合物も存在する。一酸化窒素と二酸化窒素を,低温で混合することで生成する。気体状態ではもとの一酸化窒素と二酸化窒素に解離してしまうため,液体または固体状態でしか存在しない。

 下に示すようにN–N結合を持った構造であり,亜硝酸無水物に当たるO=N–O–N=Oという構造のものは知られていない。おそらく,こちらは解離が速く,観測できるほど長時間存在できないのであろう。

三酸化二窒素(N2O3)

三酸化二窒素(N2O3)

五酸化二窒素(N2O5

 これまでのNOx類と異なり,常温で結晶性の固体となる。これは,NO3とNO2+とに解離し,イオン性結晶となっているためだ。気体状態では,O2N–O–NO2という構造の分子として存在する。ただし室温でも,二酸化窒素と酸素へと分解していくため,取り扱いには注意を要する。
 無水硝酸に当たる構造であり,硝酸を五酸化二リンで脱水することで得られる。また,空気中の水分を吸収し,徐々に硝酸へ戻っていく。

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トリニトラミド(六酸化四窒素,N4O6

 窒素酸化物の最も新しいメンバーは,N4O6の分子式を持つトリニトラミドだ。1840年に発見された五酸化二窒素以来,170年ぶりの新顔であった。ご覧の通り,硝酸のトリアミドに相当する構造を持つ。カリウムジニトラミドKN(NO2)2と,NO2BF4を低温で反応させることで合成された。四酸化二窒素が完全に平面構造であるのに対し,こちらはプロペラ状にねじれた構造だ。

トリニトラミド

トリニトラミド

 見ての通り,極めて高いエネルギーを秘めた化合物であり,室温では安定に存在できない。しかし,ロケットの燃料としては既存のものより20~30%ほど強力と見られ,塩素などを含まないため環境への付加も比較的小さい。あるいは近未来のロケットは,この化合物を燃料として宇宙を目指すことになるかもしれない。

 窒素酸化物は,他にも紙の上ではいろいろな可能性が考えられそうだが,実際に合成するとなるとこれ以上大きなものはなかなか難しそうだ。次なる新メンバーがこの列に加わるのは,いつの日になるだろうか。

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執筆者紹介

佐藤 健太郎 (Kentaro Sato)

[ご経歴] 1970年生まれ,茨城県出身。東京工業大学大学院にて有機合成を専攻。製薬会社にて創薬研究に従事する傍ら,ホームページ「有機化学美術館」(http://www.org-chem.org/yuuki/yuuki.html,ブログ版はhttp://blog.livedoor.jp/route408/)を開設,化学に関する情報を発信してきた。東京大学大学院理学系研究科特任助教(広報担当)を経て,現在はサイエンスライターとして活動中。2014年より,新学術領域「π造形科学」広報担当。著書に「有機化学美術館へようこそ」(技術評論社),「医薬品クライシス」(新潮社) ,「『ゼロリスク社会』の罠」(光文社),「炭素文明論」(新潮社)など。
[ご専門] 有機化学

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