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化学よもやま話 特別寄稿

躍(をどる) ~素直さと明るさと情熱を~ 第3回

東京大学名誉教授 東京工業大学名誉教授 向山 光昭

 第二次世界大戦の終結直後ではありましたが,東京工業大学3年次になり,いよいよ卒業研究の所属を決める時期になりました。そこで毎週講義を受け,深い感銘を受けていた星野敏雄教授にまず希望を話してみようと相談に行きました。すると,わずか数分話しただけで,教授はこう言われました。
 「よし,ちょうど私の弟子にアセチレンを研究している者がいるから,そこを紹介しよう!」

当時としては,アセチレン化学は最先端の研究テーマでした。
 「じゃあ,早速その研究室に案内するよ。」
星野教授はそう話されて私を連れ本館を離れどんどん階段を降りて市来崎研究室に向って行かれました。その途中ちょうど半分程階段を降りたあたりにさしかかった時,私の頭の中を何か想いがめぐり,ほんの数分間で堅い意志に変わりました。即体中の勇気を込めて,思い切って言ったものです。

 「待って下さい,先生!・・・私は直接先生の指導の下で研究したいのです!」
 「ほう,そうか。じゃあ僕の部屋へ戻ろう。」

そこで私の研究人生は決まったのです。

 当時,星野教授程魅力的な先生は他には居られなかったと思います。化学を語る時の教授は情熱に溢れ,また本物の研究とはどういうものかということを御自身の経験や失敗も含めて,分かりやすい言葉で説いて下さり,他の著名な化学者の研究者としての姿なども図書館に通って調べて多数紹介して下さいました。熱っぽく語られる先生の話は,また非常に明解で組織だっており,どうやって実験を進め,いかにその結果を評価し仕事に活かして行くか,ということを正確に伝えるものでした。その言葉の一つ一つが私の胸にびんびんと響き,話に引き込まれたものです。

 「研究者なら人真似はするな!」

きっぱりといわれたその言葉に,ついに私の心は火がつきました。
「よし,やるんだ!」 その時研究へのエネルギーが体中に満ち満ちて来たことを今でも鮮明に憶えています。あの時そのまま階段を降りて他の研究室に向い,そこで仕事を始めていたら私の人生は全く別なものになっていたことは間違いありません。

 星野研究室ではインドール・アルカロイドの合成とポリウレタン化学を中心とした反応の研究を手掛けていて,天然物の研究と人工的なポリマーの2分野の研究に大きな成果を挙げていました。実際,先生は弱冠37才でエセリンに関するインドール化学の研究で日本学士院から学士院賞(1936年)を受けております。
 続いて1940年頃から星野研ではポリウレタンの研究を始めており,小生が参加した1947年にはポリビニルアミンの合成研究がアメリカで発表されましたので,これを追試する仕事から始めるように指示されました。参考になる資料が手に入りにくかった終戦直後のこの時代,アメリカ化学会発行の最先端の雑誌,Journal of the American Chemical Societyは非常に貴重で,これを読むためしばしば日比谷図書館まで通いました。最も高い評価を保っていたその雑誌を見るために,毎朝図書館のドアの前で開館時間を今や遅しと待ち構えているような状態でした。日比谷だけが唯一このような雑誌が閲覧出来る図書館だったからです。その中で発表されていたビニルフタルイミドというモノマーの合成に着手しました。
 前にも述べましたが,第二次世界大戦の戦後というのは,本当に物のない時代で,実験の器具や施設は全くと言っていい程不備な状態でした。例えば,「さあ実験を始めよう」と思っても,まずフラスコやコンデンサーに取り付けるゴム或いはコルクの栓を探すことから始めなければなりませんでした。ちょうど良い大きさの物がどうしても見つからない時は,それだけのために何時間も要したことさえありました。何という労力と時間の無駄だったと思いますが,今ではよい思い出になっています。
 このような毎日で半年も過ぎた頃には,何とかガラス器具の扱い,或いは反応の組み立て方を含め,諸々の実験術を,研究室の先輩である山岸和夫博士の力をお借りしながら覚えていきました。ひたすら懸命に打ち込んでいたので,最初の目標であるビニルフタルアミドのモノマーの合成が達成できた時は,本当に感激しました(但し,その時私がやったことは,実は“文献に書いてある手順通りにやってみたら出来た”,という単純な追試実験に過ぎなかったのですが・・・)。
 次の仕事はポリマーを合成する重合反応を試みることでした。

星野研究室の様子(写真は向山光昭先生ご提供)

星野研究室の様子(写真は向山光昭先生ご提供)

東京工業大学卒業式(昭和23年3月)2列目中央が星野教授,その右後ろが向山先生(写真は向山光昭先生ご提供)

東京工業大学卒業式(昭和23年3月)2列目中央が星野教授,その右後ろが向山先生(写真は向山光昭先生ご提供)

卒業論文
「塩基性高分子化合物の合成研究」指導教官星野敏雄教授
昭和23年3月卒業 有機化学教室(特別研究生後期)

執筆者紹介

向山 光昭 (Teruaki Mukaiyama)

 1927年長野県伊那市生まれ。1948年東京工業大学卒業,1953年学習院大学理学部化学科講師,1957年同助教授,1958年東京工業大学理学部化学科助教授,1963年同教授,1973年東京大学理学部化学教室教授,1987年退官,1987年東京理科大学理学部応用化学科教授,1992-2002年東京理科大学特任教授,2002-2009年社団法人北里研究所基礎研究所有機合成化学研究室名誉所員兼室長。
 日本化学会賞,恩賜賞,ACS Award for Creative Work in Synthetic Organic Chemistry,フランス国家功労章シュバリエ,文化勲章,文化功労者,藤原賞,全米科学アカデミー会員等,多数受賞。
2004年に喜寿を迎えられたこと,米国国立科学アカデミー外国人会員に選出されたことを記念し,有機合成化学協会「MUKAIYAMA AWARD」が創設される。
 日本化学会会長,有機合成化学協会会長等を歴任。ポーランド科学アカデミー外国人会員,フランス科学アカデミー外国人会員,西ドイツ・ミュンヘン工科大学自然科学名誉教授博士号,アメリカ科学アカデミー会員,日本学士院会員,日本化学会名誉会員,有機合成化学協会名誉会員,東京大学名誉教授,東京工業大学名誉教授,社団法人北里研究所名誉所員等。

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