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化学よもやま話
~身近な元素の話~ 炭素と結合する元素
佐藤 健太郎
日々発表される有機化学の論文は,実に膨大な量になっている。改めて考えてみれば,炭素というたったひとつの元素にまつわるジャンルで,これだけの研究者がこれだけの論文を発表していながら,よくやることがなくならないものだとも思える。炭素の可能性は,科学者が数百年かかって研究してもとても窮め尽くせない—どころか,その裾野はさらに広がり続けている。
世界最大の化合物データベースであるCASデータベースには,現在まで7000万近い化合物が登録されている。このうち実に8割が,炭素を含む有機化合物だ。周期表を埋める100以上の元素の中で,炭素の可能性だけがまさに別格であり,「元素の王者」というべき地位を占めているといってよいだろう。
炭素がかくも特別な元素であるのには,いくつか理由がある。そのひとつとして,数多くの元素と安定な結合を作りうる点が挙げられる。炭素は,水素・酸素・窒素・硫黄・リン・ハロゲン元素といった非金属元素はもちろん,ほとんどの金属元素とも結合を形成しうる。そのいくつかは,合成試薬として日常的に化学者が実験室でお世話になるものだ。
Grignard試薬,ヒドロボレーション,Wittig反応などの例を挙げるまでもなく,炭素と他元素の結合は,常に有機化学に新たな局面を拓いてきた。ハフニウム,レニウム,ビスマスといった比較的なじみの薄い重元素さえ,これらを用いる合成反応が開拓されている。モリブデンやルテニウムのカルベン錯体などは,一昔前までかなり特殊な化合物というイメージであったが,Grubbsによるオレフィンメタセシス触媒の登場以来,これらは有機化学のメインストリームに座るようになった。新しい結合の開発は,常に化学の最重要なフロンティアであり,当然,この分野には常に大きなエネルギーが注がれ続けている。
有機希ガス化合物
1962年,N. Bartrettらによる初のキセノン化合物(XePtF6)の合成は,多くの教科書に採録される極めて有名な業績だ。その後,現在まで2,4,6,8価のキセノン化合物が知られており,その多くはフッ化物及び酸化物である。このうち,たとえば二フッ化キセノンXeF2はフッ素化試薬として有用であり,市販もされている。
そのキセノンは,炭素とも結合を作る。C-Xe結合を持った初の化合物が作られたのは1989年のことで,意外にその歴史は古い[1]。キセノンが2価のものとしては,C6F5XeF を出発原料として,Xe(C6F5)2などいくつかの有機キセノン化合物が合成されている[2]。
2000年には,初めて有機キセノン(IV)化合物が作られた[3]。たとえばXeF4とC6F5BF2の反応により,[C6F5XeF2]BF4-という化合物が合成されている。この化合物は強力なフッ素化剤としてはたらくことがわかっており,あるいは研究が進めば試薬として面白い展開があるかもしれない。
キセノンより一回り小さなクリプトンでは,アセチレンと共に低温下で光照射することにより,HC≡CKrHという化合物ができることが報告されている[4]。ラドンは可能性がありそうだが,今のところフッ化ラドン(II)が知られているのみであり,有機ラドン化合物は実現していない。アルゴンやネオンと炭素の結合は可能なのか,恐らく世界各地で一番乗りを狙った挑戦が続けられていることだろう。
そのキセノンは,炭素とも結合を作る。C-Xe結合を持った初の化合物が作られたのは1989年のことで,意外にその歴史は古い[1]。キセノンが2価のものとしては,C6F5XeF を出発原料として,Xe(C6F5)2などいくつかの有機キセノン化合物が合成されている[2]。
2000年には,初めて有機キセノン(IV)化合物が作られた[3]。たとえばXeF4とC6F5BF2の反応により,[C6F5XeF2]BF4-という化合物が合成されている。この化合物は強力なフッ素化剤としてはたらくことがわかっており,あるいは研究が進めば試薬として面白い展開があるかもしれない。
キセノンより一回り小さなクリプトンでは,アセチレンと共に低温下で光照射することにより,HC≡CKrHという化合物ができることが報告されている[4]。ラドンは可能性がありそうだが,今のところフッ化ラドン(II)が知られているのみであり,有機ラドン化合物は実現していない。アルゴンやネオンと炭素の結合は可能なのか,恐らく世界各地で一番乗りを狙った挑戦が続けられていることだろう。
「ホットな」有機化合物
炭素の社交性の高さは,放射性元素相手にも及ぶ。たとえば半減期が最長8.1時間でしかないアスタチンとさえ,C6H5Atなどの化合物が合成されている。ウラン・ネプツニウム・プルトニウム・アメリシウムなどアクチノイド元素も,シクロオクタテトラエンとのサンドイッチ状錯体(通称「ホット・サンドイッチ」)を形成する[5]。これらはD8hという対称性を持つ,珍しい分子だ。ウランには,シクロペンタジエニル配位子が正四面体型に4つ結合した,Cp4Uという錯体も知られている[6]。原子が大きくなると,こんな化合物ができるのかと驚かされる。
ホット・サンドイッチ
炭素と結合を作る最大の元素は,筆者の調べた限りでは原子番号99のアインスタイニウムのようだ。2005年に,アルケンが配位した形の錯体が合成されている[7]。これ以下の元素で,炭素との結合が知られていないものは,ヘリウム・ネオン・アルゴンといった希ガス元素の他,極めて寿命の短い元素であるフランシウムなど,ほんの数種ということになりそうだ。
なお,相手を炭素に限らなければ,今まで化合物が作られた最大の元素は108番元素のハッシウムだ。2002年,わずか7原子だけを元にして四酸化ハッシウムなどの化合物が合成され,各種性質が調べられている[8]。用いられた同位体の半減期はわずか11秒でしかないというから,全く驚くべき技術という他ない。それを思えば,炭素と結合を作りうる元素のリストは,まだ拡大の余地がありそうだ。
なお,相手を炭素に限らなければ,今まで化合物が作られた最大の元素は108番元素のハッシウムだ。2002年,わずか7原子だけを元にして四酸化ハッシウムなどの化合物が合成され,各種性質が調べられている[8]。用いられた同位体の半減期はわずか11秒でしかないというから,全く驚くべき技術という他ない。それを思えば,炭素と結合を作りうる元素のリストは,まだ拡大の余地がありそうだ。
周期表にない元素
2008年には,炭素の新たなパートナーとして,ミューオニウム(muonium)が名乗りを上げた。といっても,そんな元素は聞いたことがないという方がほとんどかと思う。実はこの「元素」,周期表のどこを探しても載っていない。陽子・中性子・電子から成る,通常の元素ではないためだ。
ミュー粒子(muon)という素粒子がある。電子の約207倍の重さと,正または負の単位電荷を持つ粒子だ。このうち正の電荷を持つミュー粒子は,電子と出会うとこれを捕らえ,水素に似た「原子」を形成する。これがミューオニウムで,陽子・中性子を持たない「エキゾチック原子」のひとつだ。
P. W. Percivalらは,これを炭素-ケイ素二重結合の反応性を調べるための,水素ラジカル等価体として用いた[9]。この際,炭素原子にミューオニウムが結びついた化合物が確認されている。有機化学にもいろいろな研究手法があるものだ,と感心する他ない。
ミュー粒子(muon)という素粒子がある。電子の約207倍の重さと,正または負の単位電荷を持つ粒子だ。このうち正の電荷を持つミュー粒子は,電子と出会うとこれを捕らえ,水素に似た「原子」を形成する。これがミューオニウムで,陽子・中性子を持たない「エキゾチック原子」のひとつだ。
P. W. Percivalらは,これを炭素-ケイ素二重結合の反応性を調べるための,水素ラジカル等価体として用いた[9]。この際,炭素原子にミューオニウムが結びついた化合物が確認されている。有機化学にもいろいろな研究手法があるものだ,と感心する他ない。
炭素-ミューオニウム結合はどのくらい安定なのだろうかと思うところだが,実はミュー粒子自体の平均寿命が2.2マイクロ秒ほどしかない。せっかく作られた有機ミューオニウム化合物は,うたかたの如く一瞬で消える運命にある。
こんな短時間で何かデータが得られるのだろうかと思ってしまうが,素粒子分野の研究者に言わせれば,ミューオニウムは素粒子としてはかなり長い寿命の部類に属し,観測も楽な方だという。たとえばポジトロニウム(電子と陽電子から成るエキゾチック原子)も化合物を作ることが知られているが,こちらはナノ秒レベルの寿命しかなく,観測が「多少大変」なのだそうだ。ずいぶんセンスが違うものだと思うが,こうした異なる分野の研究者が集まるところにこそ,面白い研究が生まれるのかもしれない。
こんな短時間で何かデータが得られるのだろうかと思ってしまうが,素粒子分野の研究者に言わせれば,ミューオニウムは素粒子としてはかなり長い寿命の部類に属し,観測も楽な方だという。たとえばポジトロニウム(電子と陽電子から成るエキゾチック原子)も化合物を作ることが知られているが,こちらはナノ秒レベルの寿命しかなく,観測が「多少大変」なのだそうだ。ずいぶんセンスが違うものだと思うが,こうした異なる分野の研究者が集まるところにこそ,面白い研究が生まれるのかもしれない。
参考文献
- [1] D. Naumann, W. Tyrra, J. Chem. Soc. Chem. Commun. 1989, 47; H.-J. Frohn , S. Jakobs, J. Chem. Soc. Chem. Commun. 1989, 625.
- [2] H.-J. Frohn, M. Theissen, Angew. Chem. Int. Ed. 2000, 39, 4591.
- [3] H.-J. Frohn et al., Angew. Chem. Int. Ed. 2000, 39, 391.
- [4] L. Khriachtchev et al., J. Am. Chem. Soc. 2003, 125, 6876.
- [5] A. Streitwieser, U. Mueller-Westerhoff, J. Am. Chem. Soc. 1968, 90, 7364; D. G. Karraker et al., J. Am. Chem. Soc. 1970, 92, 4841.
- [6] J. H. Burns, J. Organomet. Chem. 1974, 69, 225.
- [7] J. K. Gibson, R. G. Haire, Radiochimica Acta 2003, 91, 441.
- [8] E. Düllmann et al., Nature 2002, 418, 859.
- [9] B. M. McCollum et al., Angew. Chem. Int. Ed. 2008, 47, 9772.
執筆者紹介
佐藤 健太郎 (Kentaro Sato)
[ご経歴] 1970年生まれ,茨城県出身。東京工業大学大学院にて有機合成を専攻。製薬会社にて創薬研究に従事する傍ら,ホームページ「有機化学美術館」(http://www.org-chem.org/yuuki/yuuki.html,ブログ版はhttp://blog.livedoor.jp/route408/)を開設,化学に関する情報を発信してきた。東京大学大学院理学系研究科特任助教(広報担当)を経て,現在はサイエンスライターとして活動中。著書に「有機化学美術館へようこそ」(技術評論社),「医薬品クライシス」(新潮社) ,「『ゼロリスク社会』の罠」(光文社)など。
[ご専門] 有機化学