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【ミニコラム】 試薬の変わった使い方:
ビタミンB1を用いる有機合成反応

東京化成工業株式会社 田口 晴彦

 このコーナーでは毎回,試薬の変わった使い方に焦点を当て,試薬メーカーならではの視点から使用法を紹介しています。今回は少し趣向を変えてライフサイエンス的なお話からスタートしたいと思います。今回取り上げる化合物は・・・ビタミンB1です。これを聞いてピンと来た方も多いと思いますが,一方でなんだろう??と思っている方もいるでしょう。それでは早速このテーマで話を進めていきましょう。
 さて,ビタミンB1ですが,みなさんご存じのとおり,人間が生きていくうえで欠かせない栄養素です。特にお米大好きな日本人ならなじみの深い栄養素でもあります。古くは江戸時代,白米を食べる習慣が広まり,徳川将軍もかかったという,いわゆる「江戸わずらい(=脚気)」がありますが,この原因とされるのがビタミンB1不足によるものです。特に明治に入って一般にも白米が回るようになると患者の数も急増,伝染病と並ぶ恐ろしい病とされました。ただ伝染病と違い,脚気はビタミン不足からくる病気です。そのため,食生活を見直したところ,ほとんど脚気の症状はなくなったとのことです。
 このような歴史があるビタミンB1ですが,当時はまだその具体的な正体は判っていませんでした。これに化学のメスを入れた学者が日本人の鈴木梅太郎です。明治末期,鈴木先生は米ぬかから脚気に効く有効成分を見つけ出し,これを「オリザニン」と名付けました1)。ところが,残念なことにこの研究成果はあまり注目されず,ほぼ同じ時期にポーランドの研究者,カシミール・フンクによる発見が大々的に報告され,「Vital Amine」と名付けたことで,この名称が世界的に広まります。Vital Amine はその後,略されてVitaminになったとのことです。ビタミンは今でこそ,A,B,C・・・といくつもありますが,その第一歩はビタミンB1だったのですね。ではそのビタミンB1とはどんな構造をしているのでしょう?
ビタミンB1

ビタミンB1

 意外と?シンプルな形をしています。ビタミンB1は化学的な名称ではチアミンと呼ばれることが多く,特徴的な構造としてチアゾリウム塩を有しています。そんなチアミンですが,解糖系~TCAサイクルに至るエネルギー獲得の過程で,ピルビン酸の脱炭酸という非常に重要な役割を担っています。なんでもビタミンB1が不足すると解糖系におけるエネルギー産出が思うように進まなくなり,糖類をエネルギー源とする神経や脳心血管系の働きに影響を与えるというのです。脚気はこういった障害が症状として現れた病だったのです。白米を大量に摂取する一方,ほかの食物でビタミンB1を補わなかったため,ビタミンB1不足に陥り脚気の症状が出てしまったわけです。
 さて,この辺りから化学的な話にシフトしましょう。解糖系~TCAサイクルにおけるピルビン酸の脱炭酸ですが,ここでひとつ疑問が湧きます。それは次の式を見てもらえばわかると思います。
ピルビン酸の形式的な脱炭酸の機構

ピルビン酸の形式的な脱炭酸の機構

 ピルビン酸の脱炭酸の工程を形式的に考えると,炭酸が抜けた後に残るのはアシルアニオンです。でもなにか不自然ですよ。そうカルボアニオンが出ちゃうのです。もちろんピルビン酸の脱炭酸の工程ではカルボアニオンが出ることはないと思いますが,ではどのように脱炭酸するのでしょう。それはチアミンによる極性転換,Umpolungが生体内で行われているからなのです。実際にはチアミンのリン酸エステルであるチアミンピロリン酸が補酵素として働き,脱炭酸が進行します。ではその仕組みはというと,以下に示すとおりです。
チアミンによるピルビン酸の脱炭酸機構

チアミンによるピルビン酸の脱炭酸機構

 式に示すようにチアミンが関与することで,ピルビン酸のアシル基が極性転換された結果,アシルアニオン等価体が電子的に中性な状態で生成することが解ります。生体内で行われている化学反応は,非常に巧みな方法により制御されていることにただ驚かされますね。この生体内反応機構,1950年代に水原ら2)やBreslow3)の研究により解明されましたが,このきっかけを作ったのは戦前のある日本人研究者の偶然からだったのです。
 鵜飼らはチアゾールのN-ベンジル付加体をアルカリ中,ベンズアルデヒドと反応させる実験を計画しました。鵜飼らの予想ではベンジル位の水素が塩基で引き抜かれ,そこにベンズアルデヒドが付加するだろう。そう考えて実験を行ったところ,予想に反してベンゾインが生成したのです4)
チアゾリウム塩触媒を用いる鵜飼らの実験
チアゾリウム塩触媒を用いるベンゾイン縮合の反応機構

チアゾリウム塩触媒を用いるベンゾイン縮合の反応機構

 そうです。チアゾールのN-ベンジル体とアルデヒドからベンゾイン縮合が進行したのです。しかも,チアミンを含むいくつかのチアゾリウム塩で試しても,結果は同じでした。ベンゾイン縮合といえばシアン化物イオンを触媒とする方法が有名ですが,チアゾリン誘導体を用いても同様な反応が進行することが明らかになったのです。反応機構はすぐに考察され,当初予想した塩基によるベンジル位の水素の引き抜きではなく,チアゾール環の2-位水素が引き抜かれることでカルバニオンが生成し,それがシアン化物イオン同様にベンゾイン縮合を触媒する機構が示唆されました。
 シアン化物イオンを使わなくてもベンゾイン縮合ができるなんて・・・なんて素晴らしい反応でしょう!しかもビタミンB1ですよ。どうやらベンズアルデヒドにとって,ビタミンB1は反応の栄養源になるみたいですね。ここは素直に喜びましょう。シアン廃液も出ないので環境にも優しいです。このとっても便利なチアゾリウム塩による触媒作用,その後はStetterにより詳細に検討され,飽和アルデヒド類のベンゾイン縮合やアシロイン縮合5),Stetter反応6)などへと応用されていきます。
 チアゾリウム塩による触媒反応は非常に多彩ですが,それを支えるのはチアゾリウム塩の電子構造にあります。チアゾリウム塩は塩基の処理により,チアゾリウムイリドになり,さらに共鳴構造によりチアゾリウムカルベンが平衡的に生成します。
チアゾリウム塩の電子構造

チアゾリウム塩の電子構造

 N-ヘテロ環カルベン(NHC)の登場です。なにか,一気に時代が現代化学に飛んだ気がしますね。同じ電子構造をもつことがポイントであるため,イミダゾリウム塩や,より安定なカルベンを与えるトリアゾリウム塩が次々と開発され,いつしか不斉有機触媒の花形試薬となりました。今では不斉合成の研究には欠かすことのできないNHCですが,そのルーツを辿っていくとビタミンB1に行きつくのですね。
 最近は環境に配慮してか,天然成分であるチアミンを用いた合成反応が再び検討されているみたいです。見るとやはりカルボニル化合物の縮合に関連するものが多いですが,今でも新しい縮合の組合せが報告されるあたり,まだまだ大きな可能性を秘めているかもしれません。
 2010年はビタミンB1が発見されてから100年となる節目の年で,2011年には先にお話したオリザニン(=ビタミンB1)に関連するイベントも開かれたみたいです。それだけビタミンの発見が非常にセンセーショナルな出来事だった証です。こんなビタミンB1を反応に使っちゃうベンゾイン縮合,学生実験や夏の自由研究にはもってこいの研究材料だと思います。また,米ぬかから得られた成分「オリザニン」,これを使って自由研究するのも面白いかもしれません。米ぬかを水抽出した後,その水溶液にアルカリとベンズアルデヒドを加えたら果たしてベンゾインが得られるでしょうか?うまくいくかは保証いたしませんが,化学倶楽部で検討してみるのはいかがでしょう。

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